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エロについての一考察ー「死」から「電車で化粧」まで [思うこと]

はじめに……
今月24日に起こったJR福知山線の脱線衝突事故で亡くなられた方々のご冥福と、負傷された方々の1日も早いご回復をお祈りして止みません。また、残されたご遺族の方々に早く、落ち着いた安寧な日常が戻りますことを望むものでございます。わたくしたちは、今後二度とあのような惨事が起こらぬような社会を構築すべく、努力を怠らないことを誓わねばならないと痛感しております。合掌。

このたび発生したJR福知山線(わたしは宝塚線と言ったほうがなじみがあるのですが)の快速電車が線路際にあるマンションに衝突し、100名以上の犠牲者を出した事故についてメディアによって意欲的に報道がされていることは誰もが知るところです。わたしは阪急伊丹線沿線に住まいしていますが、JR宝塚線は亭主の実家に帰るときなどに利用することがあるなじみのある路線です。しかも、オーバーランの起こった伊丹駅から事故現場の先の尼崎駅までの区間です。
つまり、わたしも事故に巻き込まれていたかもしれなかったのです。
事故の第一報はMLBのタンパベイ・デビルレイズとボストン・レッドソックスの試合中継放送中のBSニュースで知りました。初めは脱線事故があって負傷者が出ている、程度の認識だったのですが、映像が入り、死者の数が徐々に増えつつあることから、次第にそれが大惨事であることに気づきました。しかも自分が乗っていたかもしれない路線での悲惨な事故です。ぐしゃぐしゃにつぶれた車体からは、もはやそこに生存者などいないであろうことが見て取れました。もし、自分が乗っていたら…。そう思っただけで胸が悪くなり、TVを見続けることができなくなったほどです。
実際に乗り合わせて助かった人の中に「もう恐くて電車に乗れない」と話していた女性がありましたが、当然のことでしょう(あるメディアはこれをPTSDの症状であると、間違った報道をしていました)。
阪神淡路大震災のあった当時、建物の損壊等の被害はなかったにしても揺れの強い地域に住んでいたため、その後に何度も続く余震のたびに心臓が痛くなるほどの恐怖を感じたものです。TVによって明らかにされていく被害者の数も、地震の恐怖を思い知らせるに十分でした。
ですが、今回の事故はあの当時には感じなかった、感情の奥深くにあるものを強く刺激する何かが感じられたのです。
それは「死の恐怖」とともに胸が悪くなりつつも感じた「エロティックな感覚」だったのです。

「エロティシズムについては、死にまで至る生の称揚だということができる」 エロティシズムとは参照
こう言ったのは20世紀初頭に活躍した思想家のジョルジュ・バタイユです。どういうことかと言いますと、彼によれば人間は誰しも死に対する強い衝動を持っているが、普段その衝動が発揮されることはありません。なぜ死に憧れるかと言うと、死こそが人間の求める究極の連続性を持っているからです。生ける者はみないつかは死にます。それは非連続な存在であることの証しです。ですが、死者は蘇ることができないように、死という状態は涅槃という言葉でも表されるとおり、永遠の状態です。(タナトスという言葉が使われることもありますが、それは精神分析用語として使われるのが普通で、その場合ここで説明したような意味とは別の意味で使われるようです。専門家ではないのでこれ以上はご勘弁を)
そしてエロティシズムとは、その死に向かう暴力であるというのです。いかにもキリスト教文化圏に生まれ育った人らしい考え方です。わたしの感じた「死の恐怖」と「エロティックな感覚」はバタイユの理論を証明するようなものだったのでしょうか。

わたしはエロ(エロティシズムと表現すべきかもしれませんが、面倒くさいので短縮します)とは、ある種の刺激によって感受性が作り出す心理状態だと思っています。感受性は人それぞれですから、多くの人があっと驚くような事象にことさら強くエロを感じる人もあれば、よほど強い刺激に対してでないと感受性が働かない人もいるのです。そのもっとも強い刺激が「死」なのではないでしょうか。
東大阪市で起こった少年による4歳児殴打事件で、加害者の少年はネットで子供の焼死体写真を見て、自分も殺してみたくなったと自供しているそうですが、この手のいわゆる「快楽殺人」は昔から一定頻度で起こっていて、コリン・ウィルソンの『殺人百科』などを読むとそのバリエーションと数とに驚かされます。
快楽殺人の加害者は得てして感受性に異常が見られるようです。異常に強すぎるかと思ったらある事柄についてはきわめて冷淡であったり、感受性そのものが欠落しているかのように見えたりします。

わたしが感じたのは、わたしには降り掛からなかった惨事の中での死という強い刺激が、少し離れたところで起こったことで、薄められた形で感受性に突きつけられ、それをエロティックだと感じてしまったのかもしれません。死に対する憧れがあった、というよりは、「自分に起こらなかった」ことの方がファクターとしては重要な気がするのです。

エロ(サムシング・エロティック)は日常的に、普遍的にありとあらゆるところに散見されますし、これを完全に取り除くことは不可能です。また誤解を恐れずに言うのなら、エロは感受性と不可分な関係にあるので、たとえば子供を感受性豊かに育てたいのなら、その子の状態に応じて適切なエロに接触させるのがいいと思います。

では、もう一度、エロとはなんなのでしょうか。さきほどはある種の刺激によって感受性が作り出す心理状態だと言いました。人の言葉を借りてみましょう。
「愛欲の行為は、それ自体では別にエロティックではない。そのイメージを喚起したり、呼び寄せたり、暗示したり、さらにはそれを表現したりすることが、エロティックなのである」ロー・デュカ(フランスの思想家。映画好きのバイブル『カイエ・デュ・シネマ』の創刊スタッフ) 行為とエロティシズム参照
セックスそのものは犬猫でもするが、そこにエロを感じるのは人間だけだということでしょう。
「エロティシズムとは禁止に対する侵犯の歓びである」バタイユ 禁止と侵犯参照
タブーを犯す快感、ですね。
「エロとは恥ずかしいということと同義」伊藤比呂美
日本的です。わたしは好きです、この感性。

どうやらエロには「和物」「洋物」の区別がありそうです。

洋物のエロはその前提として「禁止」が感じられます。キリスト教では性に関する事象は忌むべき劣情に他ならず、皮肉にも動物と同列視すべき悪の所行と看做されていました。ですが、動物にはエロは存在しません。そのせいか、ヨーロッパやアメリカで実施される「性解放」は禁止に対抗する意識が強く、かたくななまでに「自由」であろうとしているようでした。洋物ポルノのあっけらかんとした明るさや、徹底した「猥褻さ」の排除は見ていて痛々しく感じることがあります。(もっと痛々しいのはフェミニストの考える女性向けポルノです)
和物のエロは伊藤比呂美のいうとおり、「恥ずかしい」という感情をその根本に持ちます。恥ずかしいから隠す、隠すから見たくなる、見られると恥ずかしい……の循環です。わたしたちはエロとは関係ないことでも恥ずかしいところを見られると、顔が赤くなります。その体の反応がエロと結びついているのではないでしょうか。赤くなるということは、血行がよくなっているということですし、体温も上がって、それはエロを感じているときの体の様子とよく似ています。

このように、エロには「禁止」と「隠蔽」とがなくてはならない要素といえないでしょうか。つまり、「自由」が蔓延してこれらが無くなってしまうと、エロの行き場もなくなってしまう、と言っては言い過ぎでしょうか。

エロのなくなりつつある風景として、電車で化粧する女を取り上げてみたいと思います。化粧は、一昔前(というにはあまりにもつい最近)までは人前ですることではありませんでした。女にとって化粧とは一種の武装であり、武装の最中はそれはそれは無防備な姿をさらすことになるのです。そのような姿を見せるのは恥ずかしいことで、滅多に人(男)に見せるものではありませんでした。ですが、まつげの一本一本、毛穴のひとつひとつに集中する女の姿はまたいじらしくもあり、なによりエロだとも言えるでしょう。
ところが、この所作を衆人環視の中で行って平気な女が出てきたら、エロの出る幕はなくなります。女の一種神秘的な一面を、電車の中で堂々と見せられたら幻滅しか感じなくなるのは当たり前です。同じ女の立場から見ると「切り札をひとつ捨てさせられた」ような気がするのです。
しかも最近、電車内で化粧をすることに抵抗感を感じない女が恐ろしいペースで増え始めていて、「なぜいけないの」としたり顔で聞いてきます。そのたびに、ダイレクトに「エロくないから」とも言えず、忸怩たる思いをさせられるのです。

エロは必要不可欠です。といいますか、それを感じ取る健全な感受性を持つことは、人として大切なことだと思うのです。


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コメント 4

あいたま

こんにちは。トラックバックありがとうございます。

とても興味深く読ませて頂きました。
特にエロに「和物」「洋物」の区別がある、という指摘には、なるほどと思いました。確かに日本のエロティシズムには「恥」の概念が深く結びついていそうです。そしてヨーロッパのエロティシズムはキリスト教と深く結びついて発展してきましたものね。

「電車で化粧」がエロくないからよくないという指摘も、大変おもしろい。案外そう諭したら、電車で化粧する女性は再び減少するかもしれません。「エロい」というのは女性にとって賛美だからです。

私も重い腰をあげて、そろそろ更新しようかしら。そんな気分になりました。
by あいたま (2005-05-13 07:58) 

鳴尾浜小町

あいたまさま、コメントをありがとうございました。
お読みいただけて光栄に思います。

「エロい」が女性にとって賛美と感じる感性はなくしたくないものです。
あいたまさまのブログで澁澤龍彦の名前を拝見し、たいへん懐かしく思いました。最近では以前ほど熱心に読まれることが少なくなったように思いますが、今読み返してみると、エロについて自明のことと思われることを非常に分かりやすく、噛み砕いて説明しているのでエロ入門書として彼の書物は最適だと思いました。

フェミニズムがこの点(エロの重要性)を無視するか、あるいは敵視するかのような傾向にあり、「性は恥ずかしくない」と年端のゆかぬ子供に教え込むような教育を押し進めている現状は、憂うべきかと思います。

>私も重い腰をあげて、そろそろ更新しようかしら。

是非更新なさってください。本当に楽しみにしております。
by 鳴尾浜小町 (2005-05-13 22:26) 

Tokira

はじめまして・・・この記事を拝見し、即リンクを張らせて戴きました。
私、鳴尾浜小町さんほどにはエロティシズムについて勉強している訳ではないのですが、無類のエロティシズム好きと申しましょうか・・・とにかくエロ老人
なのです。稚拙なblogを人並みにやっていますので↓暇なときにでもどうぞ。
       http://www.doblog.com/weblog/myblog/3074
私のエロティシズム歴はこの辺りから始まったようです↓
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3074/1275708#1275708
この人も好きです↓
http://www.doblog.com/weblog/myblog/3074/1297355#1297355
いい記事楽しみにしています
by Tokira (2005-06-09 21:48) 

鳴尾浜小町

Tokiraさま、コメント&ブログのご紹介をいただき、ありがとうございました。さっそく拝見いたしました。フローラのエロスがたっぷりのブログとお見受けしました。荒木経惟氏について興味深い一文を発見しましたので、近々取り上げてみるつもりです。
今後ともよろしくお願いします。
by 鳴尾浜小町 (2005-06-15 15:17) 

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